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【 歌は語る 】



    楽曲 白い花の咲くころ  寺尾智沙 作詞 / 田村しげる 作曲

    

    昭和25年、小樽出身、音大卒の歌手岡本敦郎(おかもとあつお)の

    デビュー曲、「白い花の咲くころ」。
     

    今もって、白い花は何の花か特定できないそうです。
     

    6月と言えば梅雨。
      

    「城ヶ島の雨」「雨」「あめふり」と言う具合に北原白秋、
    
    雨に歌う……の作品群に思い触れます。
    

    その氏の作品に「♪カラタチの花が咲いたよ、白い白い花が咲いたよ」

    と歌いだす「からたちの花」があります。



    「からたちの花」の作曲者、山田耕筰の若き頃を題材に作詞されたと

    いうこの作品ですが、白い花からたちは、
関東での花の時期は今6月よりは

    少し前のことになりましょうが、もしやこれが歌われた白い花か、     

    果たして、この歌の白い花はカラタチか。


    どんな白い花に触発されたのでしょう、広島生まれの寺尾智沙様。


    あなたがこの詩を作られたその時ご覧になった白い花は……

    コブシ、ヤマボウシ、ニセアカシヤか、ハクモクレン、それともウノハナ、

    ヒメシャラ、ノバラや如何に。


    お一人お一人心の中にお持ちの白い花の中に、そして白い雲にも、

    白い月にも、思い出のあの人が、故郷が、歌われます。


    お一人お一人、心の中にお持ちの白い花。


    そうです、それが ♪あの白い花だよ。






                  





 




    
    楽曲  旅人の歌     福田三岐夫 作詞   ベートーベン 作曲


      ベートーベンが福田さんの詩に曲をつけたとは、よもや思われますまい。

      福田さんには失礼ながら。

      福田三岐夫さんはたくさん作詞をしていらっしゃいますし、

      あーっと声を出すであろう、あの曲この曲に歌詞をのせていらっしゃる方です。

      で、この「旅人の歌」、歌いながら、この時節の歌であったのではと手に取る。



           「高校生の歌集1963」の88より

           1.木の葉は枯れ落ち 肌さす風 寂しき旅路を さすらい行けば
             
             かなたの野山は 夕日に映えて 紅萌えたち 夕べは厳か

           2.荒波乗り越え 嵐を押して 果てなき旅路を さすらい行けば
             
             緑濃き島は 波間にかすみ 南の海辺は 夕べは麗し



      受験の季節を終え、希望に燃え立つ緑待ちつつも未来は不透明、

      そんな中にあってもひと日の幸に満ちた、夕べは麗し。

      これが筆者の解釈でした。


      1800年すこし超えたころ、若かりしベートーベンはゲーテの詩に曲を

      つけたのでした。

      ゲーテの詩では「マルモッテ」という小動物を調教し、それを操り、

      なんとか食べ物にありつきながら、あっちこっち旅する旅芸人の少年を

      歌ったのだそうです。

      原題はよって「マルモッテ。」

      ゲーテ作品のその一部分をちょっとご案内いたしましょう。

      ドイツ語からの訳です。


            ♪ わたくしは今までたくさんの国々を旅してきましたよ
              マーモットといっしょに
              そしていつでもおまんまは見つけてきましたよ
              マーモットといっしょに
              一緒にこちら、一緒にあちら
              マーモットといっしょに


      歌われることから、今は曲の方がピアノやバイオリンで奏でられることの方が

      多いそうです。











      楽曲 仲よし小道    三苫やすし 作詞  河村光陽 作曲


     なんでしょ、この歌。
     聴いても、歌っても、むねきゅん なのですが。

     歌と共に描かれているのは菜の花の咲く小道を、
     ランドセルしょって、走るように歩く小学生。
      
     男の子と女の子です。

     入学したての1年生でしょうか。

     「草履袋」とよばれた「上履き入れ」を手にしています。

     歌に描かれる風景が、一つ一つ懐かしく、しみじみいたします。

     こういう風景の中にあった幼少時代。

     また、こういう風景があるという時代。

     『「偉い人」はきれいな美しい情景の中で育っていた。』と
     語られていた偉い方があります。

     分かるような気がいたします。

     仲よし、小道、とんとん板橋、元気よく、にこにこ、日暮れ、
     母様、お手々をふりふり さようなら

     いいなぁ。

     忘れずにいる心と、忘れないでいたい思い。

     作詞者 三苫やすし(1900-1949)  作曲者 河村光陽(1897-1946)
     ともに福岡県生まれ、教職にあられたとのこと。

     雑誌に投稿された詩に作曲者が目を留め、出来上がったとのこと。

     47抜きの「短調」に日本人の心情はとらえられます。

     河村氏は「かもめの水兵さん」「うれしいひなまつり」
     「りんごのひとりごと」ほか多くの方々の詩に
     曲を付けています。

     この曲をキングレコードで最初に歌ったのは、河村氏のお嬢さんの
     河村順子さんだそうです。




                




 


     楽曲 女ひとり   永 六輔 作詞  いずみたく 作曲

 
    春めいてまいりました。

    そうだ京都に行きたい。
    けど今、行こう!までに至らない。


    この歌の発表されたころ、

    「こんな風な着物着て、こんなところを訪れてみたい」と思ったことを
    思い出しました。

    実行なさった方は多かったらしく、着物ブームという時があったそうですね。

    歌いこまれた結城、大島、塩沢は、三大紬と並び称されるものですとな。

    帯もなかなかそれに合うものが選ばれていると。

    さすが永様。

    そして歌ったのがデューク・エイセスというコーラスグループでした。

    これもよしよし。


    三千院は天台宗、栂尾山高山寺(とがのをさん こうさんじ)と
  
  大覚寺(だいかくじ)は真言宗。
     

    大覚寺
では今年10/1から11/30まで60年に一度の
    戊戌開封会(つちのえいぬかいふうえ)という、
    嵯峨天皇が御納めなされた般若心経が特別公開されるそうです。
     
    中国の洞庭湖をかたどった大沢の池は名勝。かつまた、嵯峨御流と名する
    生け花発祥の花の寺。

    栂尾高山寺
は世界遺産。

    「鳥獣人物戯画」あり、日本でお茶が作られた初めての地と。


    
三千院の山号は「魚山(ぎょざん)」。

    貴人、仏教修行者の隠棲のちとして選ばれた大原の寺院。
    「魚山声明」、大原声明ともいわれるそうですが、かく称される仏教音楽の
    生まれたところ。

    女ひとり、日本の「はじめて」に触れ、かつ己の「元」を尋ね
    探ってみたい気が・・・・・・。

    気は大切なはじめなれど、貫く一念のほしいことよ。

    ああ京都。









 


   楽曲 「銀座の柳」   西条八十 作詞  中山晋平  作曲

   住まいのあるこの地の名所になりつつある河津桜が、今年はもう咲き過ぎて
   お祭りの頃は散っているのではないかと関係者は心配顔でした。

   何故かその祭り一歩手前で天候は一変、2/5からの河津桜祭りにはちょうど
   良い咲ごろとなりました。

   葉桜あり、開いたのあり、つぼみがいっぱい膨らんだのありと。

   取り合わせに植えられている菜の花も黄色くつぼみを見せています 。

   この天の配剤畏るべし。

   そんなことを思いつつ過ごしていたら
   「『昭和歌謡』が今( カラオケで歌う)ブームです」と高校生の友。

   へーー。

   平成も今年で終わるのだしと感慨にふけりました。

   そんな連想の流れに桜並木良し、柳の並木はなおのことよしよなーと。

   昭和歌謡によく歌われた柳の並木。

   「銀座の柳」は作詞も作曲も知れた方。

   今の銀座の柳たちは昭和の生まれとか。

   「ここに柳を」と提案したのは大阪堺から江戸幕府のために連れてこられた
   銀職人の方々とか。

   堺は市の木ともしているくらい柳の名所。

   「堺恋し」と職人がたの思いが東京銀座の地に柳を生えさせたのでした。

   よって蛇足ですが、「銀座の柳」はもとよりここが発祥ですが
   「銀座」は堺が発祥ということです。

   桜を見たり、柳を見たり、そんな季節がやってきます。

   本日節分、明日は立春。










    楽曲     七草の歌 / なずなばやし     古いわらべうた

    ななくさなずな  とうどのとりが  にほんのくにに わたらぬさきに  ストトントン 

    こんなふうな言葉を口ずさみながら、 新しい年の初めから7日目に春の七草をきざんで
    入れたおかゆを食 す。

    今年もなさったでしょうか。

    「お正月はおいしいものをいっぱい食べるから、 少し胃を休めないといけないものね。」

    「ああらそもそも、 これはねえ、七日正月という五節句の一つの行事よ」

    「そうねえ鳥インフルは困りものですからね」

    「なになに、ななくさなずなってなに」

      
    春の七草、七草粥。

    七草ばやしに至っては地方によって歌われ方も違うようですが、
    春の七草は芹、薺、御形、繁縷、仏の座、菘、蘿蔔。
            
    せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろこれぞ七草 。

    これは共通認識。

    無病息災を祈り、この時を意識の「節」とする。

    ゆかし。

    前夜、野に摘み草をし、七日に調える。

    この風習は2018年ちとあやしきムード。

    野から七草は消えゆき、畑育ちの七草を豪華弁当付き短期決戦バイトの
    若者が一斉に摘まみ採る。

    しかしなんですな。

    何か変化はしつつも習いは廃れ果てず、若者は七草を記憶す。うれしきこと。

    <75才の友人はこのバイトに応募したところ「アッ、無理です」とチョッバヤで断られたそうです。>





 


 

         楽曲    いとまきのうた       作 不詳


        デンマーク民謡「靴屋のポルカ」が原曲と聞きます。

        デンマーク、フランス、アメリカ、世界中で歌われる「糸巻きの歌 」と
        あらわされることもあります。

        ♪雪のこぼうず 雪のこぼうず 屋根におりた つるりとすべって  
         かぜにのってきえた   (詞 村山寿子 以下3番まで)

        この詞も「いとまきのうた」の曲にのせ歌われます。


        さらに、♪こびとさんのおくつ のところに動物さんたち、
        ぞうさんやうさぎさんのおくつとはめて歌ったり。

        続けておはなしふうに進んでいく作品もあります。(詞 香山美子)

  
        冬、木の床の小屋で、この原曲に合わせておどり、
        最後靴を見せ合うポーズで踊るポルカ。

        また、子供たちみんな笑顔で声合わせて手遊びする「 いとまきまき」

        学生時代、子供たちの暮らす施設へお尋ねする用意に、
        友人たちと練習したことも思い出されます。

        いまはまた、座り仕事の合間に「♪いとまきまき」

        速く、遅く、大きく、小さく、歌ったり変化をもつけて。
   
        なんといっても、みんなで一緒は数倍たのし、元気になる。






 


     楽曲  「星の界(よ)」   
                   杉谷代水(すぎたにだいすい) 作詞   チャールス・C・コンヴァース 作曲


      作曲者チャールス・C・コンヴァースは(1832-1867) はニューヨークのエルミラカレッジ卒業後、

      日曜学校歌集を編纂する仕事に携わっていました。後、ドイツのラ イプチヒ音楽院に入学、
     
      そこであのフランツ・リスト、「愛の夢」「ハンガリー狂詩曲」「ラ ・カンパネッラ」など作曲する、
 
      フランツ・リストとも親しく交わったそうです。

      が、そののちアメリカに帰国、アルバニ―大学で法律を学び、弁護士となり、
      
      傍ら作曲をも続けていました。

      1868年ジョセフ・スクラィヴィンの詩に出会いこの曲を作ったと記されています。
 
      スクラィヴィンは「その顔は天使を思わせる」平安と優しさに満ちていたといわれていますが、

      一度ならず二度までも婚約者に先立たれるという傷ついた苦悩の絶望の中にあっても、
      
      不思議な神の慰めを感じとっていたのだそうです。

      加えて故郷アイルランドには彼の母がともに彼の苦労を分かち合い味わっていてくれた
      
      そうです。

      彼は母への慰めのためにこのチャールス・C・コンヴァースがであった詩を書き送りました。
     
      この曲と、 スクラィヴィンの詩とによりこの歌は今も世界中で愛唱されています。
     
      日本では「讃美歌312番いつくしみ深き」 と訳されています。讃美歌編集委員会の訳です。
         
      そしてさてさて「星の界」。こちらは、チャールス・C・コンヴァースの曲に出会い、
      
      杉谷代水が詞を付けたものです。

      病のため早稲田大学を中退した本名杉谷虎蔵氏は1874.8.21鳥取県境港に生まれ、
      
      1915.4.21亡くなられました。

      国語読本など作られました。

      宇宙の雄大さを思いめぐらされるとともに、仰ぎ見る星々におのが魂の
      
      静かに燃える熱情をも感じます。

      「界」を「よ」と読むことからしてむずかしさを印象付けてしまいがちとは申せど、
      
      わが友現代人よ、賢くあろうぞ。











 


          楽曲  「初 恋」   石川啄木 作詞   越谷達之助(こしたにたつのすけ)作曲


          砂山の 砂に腹ばい 初恋の痛みを 遠く 思い出る日


          石川啄木の詩歌集「一握の砂」。

          「頬(ほ)につたふ/なみだのごわず(ぬぐわず)/一握の砂を示しし人を忘れず」
          から付けられた歌集。

          「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/ 蟹とたわむる」の短歌が
          最初に置かれた、その第一「我を愛する歌」 の六首目にあるこの歌。

          「初恋」という歌曲に仕立て、三浦環、奥田良三によって歌われ
          広められていったこの作品は越谷達之助(1909-1882)によって
          なったものです。

           26才で召されるであろうようと自覚していたであろう啄木24才の
          時の作品。

          啄木は1886年2月20日に生まれ、1912年(明治45)4月13日に
          亡くなりました。

          「東海の小島の磯の白砂に…」とも出てくる「白砂」。
          迫りくる死への思いを載せた「じかん」を意味すると聞きます。

          この歌の後に編されている
          「いのちなき砂のかなしさよ/さらさら と/握れば指のあいだより落つ」からも
          死期迫るこの時「時間」 への思いが聞きとれます。

          「遠く思い出る日」

          初恋を感じた日から相当の歳月の経過を感じ取れ、
 
          天才の早熟ぶりが推察されもできるのですがで、 決してそうではなく、

          今24才であるが、そうでなく今が「初恋」から「 相当の歳月の経過」を
          みた時であったならと望む、「 いのちのじかん」への悲痛の叫びが
          聞こえてきます。

          啄木の天才、貧しさ、女性関係、その26年×365日に詰まった時に
          思いいたします。

          函館の大森浜での作品。

          啄木と言えば函館という印象の強いものですが、 21才の1907年5月
          から9月までの4月間の定住であったとか 。

          今から110年前のことですね。
   
          
          
          越谷達之助氏は「音楽する心」 を大切に音楽教育に長年携わられました。
 
          素晴らしく魅力的なよく通るお声で熱心にお教えなさったとお弟子 さん方の
          話です。
          作曲にあたっては「凝縮された叙情、 心情がよくあらわされた短歌、 詩歌」が
          お好きで、その心をいかに単純にいかに歌い上げるか表現するかに
          心血を注 ぐと。

          生み出された作品から、「日本のシューベルト」と評されたそうです。

          殊にこの「初恋」が大のお気に入りで1938年発表の「 啄木によせて歌える」と
          題された歌曲集に収められ、各地を巡っての普及活動には、 歌手の方々と
          ご一緒にご自身伴奏者として巡られたそうです。
 
          お墓は神奈川県藤沢市の本真寺(ほんしんじ)。

          お生まれはどこなのか調べられませんでした。

          俳優も志されたというだけあって凄い美男子。

          作曲、 歌い手の方々の伴奏ピアノ、 加えて朗読家としても活躍なさった
          そうです。

          
          蛇足ですが、「一握の砂」の一首目が
          「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたわむる」です。

          私事ですが、岩手からやってきた美青年が,、啄木の歌ではこの歌が
          好きと教えてくれました。
          彼は60才を待たずに亡くなりました。


                 不来方(こずかた)のお城の跡の草に臥(ね)て
                 
                 空に吸われし 十五のこころ










 


     楽曲「月見草の花」  山川清 作詞  山本雅之 作曲


     ♪ラーラ ラーラ ラーラ ラー つきみそう(3拍子です)

     月見草と歌いはじめて思い浮かべるオオマツヨイグサ。

     ふむ、あの竹久夢二のマツヨイグサって情緒的だわね、でも間違ってただけだとも聞くわね。

     さまざまな思いの内にともあれイメージするのは黄色な花・・・・ ・・では。

     ラジオの夏休みの質問の時間ふうに言ってみると、

     「月見草っていうのはねー、みたことあるかなー。江戸時代に入ってきた
     観賞用の園芸種でねえ、白い花なのよー。

     薄暗くなってくるというか、午後3時ごろからね咲き始めて咲き終 わる頃には、
     夜8時ごろかなー、ピンクになってきて、どんどんピ ンクが濃くなって、
     お日様がてる頃には萎んでしまうんだって。萎むってわかるかなー 、
     元気に咲いていたのにつぼんで小さくなるってことよー。

     それでね、さっきも言ったけど白い花で、観賞用って言って、お庭に咲くのよ。
     野原とか道端に咲いているのはたいてい黄色よね。

     マツヨイグサっていう仲間なの。まちがって月見草ともいうけど、

     月見草は白くて野原に咲広がることはないのがふつう。わかったかなあ」

     わかったかなあ。

     「月見草」というタイトルの文部省唱歌(勝田香月詞、長谷川良夫曲とも)も、
     「月見草の唄」という物語もありますが、

     今月9月「歌は語る」は♪月見草の花。

     涼風にふと夕べの散歩に誘われつ、口ずさむ旋律。

     ハクチョウソウやハルシャギクの間に顔をのぞかせるようにしてちらり違いを
     見せながら微笑むような花の月見草を歌う。

     が、御託を並べてもこの歌詞には、 黄色いマツヨイグサがよく似合う。

     一般的に誤解されていても、 海岸丘にさきひろがるマツヨイグサ中で
     歌っている風景が目に浮かぶ。




                              













      楽曲 希望のささやき  緒園凉子(おぞのりょうし)詞  アリス・ホーソン曲


         何処かで耳になさっていらっしゃるのでは。
     
     緒園凉子氏の詞ではなく、津川主一氏の作品かもしれませんが。

     小池小百合「なっとく童謡唱歌」から得たこと取り交ぜて語らせていただきましょう。

     この「希望のささやき」はアリス・ホーソンが詞も曲も作り、曲はそのままに、
     日本語に訳しつつ作りあげられた作品です。

     偶然か、アリスも凉子も性別は男性ですが、女性を想起させるペンネームで すね。

     緒園凉子氏は兵庫県の方、1905-1947とあります。

     狭心症で11月20日一夜にして亡くなられたそうです。享年43 才です。


     「WHISPERING HOPE」の作者、アリスことセプティマス・ウィナー氏1827 -1902は
     ペンシルヴァニア生まれだそうです。

     この曲への作詞は最初「夏の光」としてありました。

     二宮龍雄の作品です。

        四方の山に野に  光かがやき  
        緑さわやかに  夏ははや来ぬ 
​      ​

​        露踏み分け行けば  朝風かをりて
​ 

        見よ青葉のにほひ  空をこめたり
        せきれい翼ひたすや  せせらぎ水も澄て
​ 

        涼しき夏のすがたよ  さやけき夏の光
 
   
     時期としては 少々ずれてしまいましたが是非ご紹介したく思いました。

     

     緒園凉子(おぞのりょうし) 詞 の「希望のささやき」はこうです。


        一. あまつみつかいの 言葉さながら

            声もひそやかに 希望ささやく
            やみはよもにこめ 嵐たけれど
            あした陽はのぼり 風も和まん
            希望のあまき言葉 うきにも幸はひそむ

        二. 淡き黄昏に まやみ迫れば
            暗き夜の空に 星はまたたく
            いよよ更けゆきて 胸は痛めど
            よわにしのびよる 朝の光よ
 
            希望のあまき言葉 うきにも幸はひそむ
​      ​


     心のケアに呼び寄せられた言葉たちです。

     津川主一氏の「希望のささやき」にもどこかでお会いになってほしいです。












 


     楽曲   東京行進曲         西条八十  作詞    中山晋平  作曲

       「さあごいっしょに」

          1 昔恋しい銀座の柳  あだ名年増をだれが知ろ  
           ジャズで踊ってリキュルで更けて  あけりゃダンサーの涙雨

          2 恋の丸ビルあの窓辺り  泣いて文書く人もある  
           ラッシュアワーに拾ったバラを  せめてあの娘の想い出に

          3 広い東京 恋ゆえせまい  粋な浅草忍び逢い  
           あなた地下鉄私はバスよ  恋のストップ ままならぬ

          4 シネマ見ましょかお茶飲みましょか  いっそ小田急で逃げましょか  
           変わる新宿あの武蔵野の  月もデパートの屋根に出る

       パチパチパチパチ


       東京。

       筆者、年を重ねるごとに身近になりましたが、もちろんこの歌ができた時 、
       「東京行進曲」の映画主題歌として発表されたときを知ってはいません。

       この昭和4年1930年、巳年のこの年のこと、様々な媒体で見たり
       知ったりはできるこの頃です。

       菊池寛の「東京行進曲」を原作に映画がつくられ、 主題歌として佐藤千夜子が
       歌ったのですと。
       ちなみに佐藤千夜子はこのころの売れっ子歌手。

       作詞西条八十、作曲中山晋平、あるいは野口雨情作詞、
       中山晋平作曲の作品を多く歌っています。
       たとえば、「影を慕いて」、「紅屋の娘」、「波浮の港」、「ゴン ドラの唄」、
       「出船の港」等々。

       この歌ができた当時、銀座の柳はプラタナスになっていたため
       その以前の柳がなつかしいと歌われたらしいです。

       そしてなつかしい出来事と場所の具体名。

       今との移り変わりを思う時、銀ブラという「行進」のみでなく、
       ま さに銀座の「変遷」、今日までの日々の「行進」を覚えることです 。

       ちらと「昭和4年の出来事」を見てみますと、

       メートル法が取り入れられた。横断歩道ができた。
       ツェッペリン号が霞ヶ浦海軍航空隊基地へ来た。
       そのときドライアイスが積まれており、日本でも作られるようになった。
       切符の自動販売機がお目見えした。とんかつが作られた。
       等々、 始まりました! が多いですね。

       こういうような昭和初めの時代に生を受けた方々が、
       今も、歌われている情景を思い出されたり、流行歌をうたわれているかと、
       思いめぐらしました。














     楽曲   牧場の朝     杉村楚人冠  詞    船橋栄吉  曲


     5月です。

     ゴールデンウイークです。

     お休みが長く続くようにすると、お出かけ人が多くなり、 ひいてはお金を使う人が多くなり、

     経済効果があがるのではというたくらみ?から名づけられた週間! ?

     それも時代錯誤の言葉にもなりそうな昨今ですが、
     何故かゴール デンウイークはうれしい。

     刷り込まれてしまったのでしょうか。

     五月病になりやすい引き金にもなる週間でもありますけれど。

     け・れ・ど・なんだかんだ言っても、

     五月晴れの日々は気持ち良い日ではありませんか。

     夜明けも早くなり、早寝早起き習慣がつけやすい時です。


     舞台は牧場。

     周りは新緑。

     さあこの歌を歌って伸びでもしてみましょう。

     (不可能と言わずにこころでもってのびのびと)

     カンカンと鳴る鐘はオランダから贈られたものとか。

     牛さんを購入したご縁であったと。


     この歌が発表されたのは1932年の12月と記録されています。

     明治天皇が東北巡行の折に福島県岩瀬郡あたりで開墾の地を示し、
     国営牧場として初めてできた岩瀬牧場がモデルと伝わります。

     今度の震災で運営にはご苦労があられるようですが岩瀬牧場は健在 です。

     作詞者は昭和になってからやっと確定なった杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)。
     新聞記者 さんで日記のようなものの記録から探し当てられたとか。

     探し当てられた方、 最上實医師は10年の歳月をかけ追跡されたとあります。

     作曲者の船橋栄吉氏はテノール歌手。この方、お写真で見る限り細面のハンサム。

     お二人とも発表の際は名が出ず、文部省唱歌としてありました。

     1959年でもまだ文部省唱歌となっています。



            ただ一面に立ち込めた 牧場の朝の霧の海 ポプラ並木のうっすりと 
            黒いそこから勇ましく 鐘が鳴るなるカンカンと

            もう起きだした小屋小屋の あたりに高い人の声 霧に包まれあちこちに 
            動く羊の幾群れの 鈴が鳴る鳴るリンリンと

            今さし上る日の影に 夢から覚めた森や山 赤い光に染められた 
            遠い野末に牧童の 笛が鳴る鳴るピイピイと




                              



 








≪ 大人色ファンタジー展覧会Ⅱ 春麗 ≫ in 茶房ギャラリー楓
2010年03月26日(金) 14時~15時

 

春浅い頃の気温に戻った日となりましたが、
たくさんの方がお集まりくださり、
朗読の世界を共に作ることができました。

【 演目 】
平家物語~相模所縁の場面より~
狸の山門
白い椿の精

【 オカリナとご一緒に 】
♪青葉の笛
♪鎌倉


 


≪ 大人色ファンタジー展覧会 ≫ in 茶房ギャラリー楓
2009年06月19日(金)・20日(土) 14時~15時

   
縮緬細工の吊るし雛をお借りして、朗読会場も鈴音がファンタジックに飾りました。
【懐かしく 新しい】雰囲気を楽しんでいただけている様子を見て、こちらも気分が盛り上がります。 





演目: レラプス ・ かぶと虫 ・ ぬらりひょんのひみつ ・ 千代とまり
オカリナ演奏: アニーローリー ・ 眠りの精 ・ わかれ(お客様と合唱)



会の最後、オカリナとの合唱 ♪別れ が、しっとりと決まりました。 


朗読とオカリナ演奏の後は、茶房ギャラリー楓のメンズスタッフの手による豆腐ケーキの出番。


初日は45人分を用意していただきました。
「男の料理教室」メンズの手作りケーキとお茶のサービスは大好評!
レシピのコピーも見る見る内に無くなりました。

フレッシュレモンがさわやかな豆腐ケーキは、「真似して作ったわ~」と数人から伺いました。
素敵な出会いに感謝します。






<語坊【ユファン】とは>

鈴音の長女、布施泉が参加する朗読ユニット。

およそ20年前に朗読サークルで知り合いになった相山啓子と布施泉は、
各々朗読や音訳の勉強をしながら、小学校、保育園、高齢者施設などを
定期的に訪問していた。

笛の演奏集団ニュー・バイバーズとふたりのコラボレーションを機に
イベント出演が増えていく中、相山と布施にひとつの道が見えてくる。

<<土地々々に縁のある作品や民話を語り継いでいきたい>>

ふたり共通の想いが呼応しあい、
朗読ユニット「語坊」(ユファン)を2003年に結成。
ユニット名は、語る、言葉、処、学びの者などの意味をもつ言葉を組み合わせ、
響きを ーユファンー とした。



現在は、2004年から季節ごとに開催している朗読会を中心に活動するほか、
朗読習練希望者のための教室「この指とまれ」を月2回開いている。

朗読に合わせたオカリナ吹奏も好評で、聴く人の心を温かく和ませるふたりのステージは、
回を重ねる程にファンを増やしている。







相山啓子   布施泉


連絡先:TEL.090-9308-3829

定期朗読会
2月・5月・8月・11月 第3木曜日 13時50分より
根本荘ホール 潮音(しおね)(三浦市南下浦町上宮田1468)
会場:TEL.046-888-0658
















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