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【 歌は語る 】



     楽曲   「雪」   作詞者不詳  作曲者不詳




         雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ。
         降っては降っては ずんずん積る。
         山も野原も 綿帽子(わたぼうし)かぶり、
         枯木(かれき)残らず 花が咲く。

         雪やこんこ 霰やこんこ。
         降っても降っても まだ降りやまぬ。
         犬は喜び 庭駈()けまわり、
         猫は火燵(こたつ)で丸くなる。

 

       誰もが歌った、口遊んだ歌でしょう。

       文部省唱歌です。

       明治44年「尋常小学唱歌」として誕生。

       昭和24年に始まったの検定教科書にも載り始め

       小学校2年生になると日本中のみんなが歌いました。

       小学校2年生の教科書に毎年載ったのです。

       昭和60年迄。

       この頃、この情景が浮かぶ時代が、景色が、消えていったのでしょうか。

       ところで、ここはどこでしょうかしら。

      「武蔵の国のある村に……」とはじまる小泉八雲作、田部隆次訳の「雪女」の舞台は、
     関東、東京です。

       ここらあたりとの推測はいかがでしょう。

       犬や猫も、降る雪にちょっと心が動く。

       歌っている「わたし」は何だか浮かれる。

       想像もできなくなったのでしょうか。

      雪国といわれる地方には、厳しい暮らし、生活がおありでしょう。

       命にかかわることも。今年は特に。

       にもかかわらず、

      この歌「雪」に魅せられるときがありますように祈りもします。

       池田弥三郎教授は「こんこですよ。こんこんでなくこんこ」と強調されました。

      ♪こんこ こんこ 雪や こんこ  歌いながら走り回りたいものです。

       雪降ってもふらなくても。










 

     楽曲  一月一日(いちげついちじつ)    文部省唱歌 

 

       年のはじめの ためしとて  終わりなき世の めでたさを

       松竹たてて 門(かど)ごとに  祝う(いおう)今日(きょう)こそ たのしけれ

 
       初日(はつひ)のひかり さしいでて 四方(よも)にかがやく けさの空

       君がみかげに たぐえつつ あおぎ見るこそ とうとけれ

                                  明治26年8月「官報3037号附録」



     
二番はともかく、一番はどこかでお聞きになったことがあられるのでは。

     あるいは曲だけでも。

     ここには野ばら社「唱歌」からとらせていただき載せました。「文部省唱歌」と

     載った新聞記事とは異なり、作詞 千家尊福、作曲 上 真行 とあります。

     千家尊福 は 「せんげたかとみ」とお読みし、宗教家、政治家と肩書があります。

     出雲大社に像が建ち、「一月一日」の歌碑もあるそうです。18458月生まれ。

     1918年1月亡と。千家元麿という詩人はご子息。

     出雲大社宮司のみならずいくつかの県知事ともなられた。

     作曲者の上 真行のよみは「うえさねみち」。雅楽家。11才で宮内庁雅楽部へ仕官。

     後東京音楽学校で教鞭をとるようになる。滝廉太郎とも同一の会で楽の道に勤しむ。

     西洋音楽にも精通し、日本で最初のチェロ奏者でもあられたそうです。
   

 

     2021年。

     今年の「一月一日」語坊の住む地は快晴。風もなく。

     朝7時の西の空にはいまだ満月の形に近い白い月が輝いている。

     東からは初日が山際に輝き始めている。

     何と初めての年の空よ!!

     月の下には雪の富士がすっきりとその影を現し、

     手前の相模灘は空の青を取り込み、

     波は輝きそれをゆり動かす。

 

     あけましておめでとうございます。 新春のおよろこび申し上げます。

 

     心から感謝。

     日々の暮らしが守られますよう。

     そして行く末に幸あらんことを切に切に祈ります。





 
                      









 


     楽曲 「一日の終わり」    串田孫一  詞   フランス古謡

 

        1.     星影冴やかに 静かに更けぬ 集いの喜び 歌うは楽し

     2.     燃えろよ燃えろよ 炎よ燃えろ 火の粉を 巻き上げ 天までこがせ

     3.     照らせよ照らせよ 真昼のごとく 炎よ 渦巻き 闇夜を照らせ

     4.     燃えろよ照らせよ 明るく熱く 光と熱との もとなる炎

     5.     名残はつきねど まどいは果てぬ 今日のひと日の幸 静かに思う

 

     あれ! この歌混ざってる!

     こう思われた方いらっしゃるでしょう。

     1,5は「一日の終わり」で3,4,5は「燃えろよ燃えろ」ではない?

     多くの記載は作詞者不明となっていますが、山と渓谷社刊「山の歌」(「槍ヶ岳の歌」
     「二軒小屋の歌」等々作詞作曲、「槍ヶ岳のマドンナ」とよばれる土橋茂子氏編集)
     こう掲載されています。

        ということで、ここではこのことより、今の今 奥から声に語りかけられました故
     お届けいたします。

        自身で大声を出すのもはばかられますが、聞きつつ情景を思い浮かべるというのは
     いかがでしょう。

 

     「遠き山に日は落ちて」をこの前に静かに口遊むと、求めているものを
     一層語ってくれます。

 
     遠き山に 日は落ちて 星は空を ちりばめぬ
     
     きょうのわざを なし終えて 心軽く 安らえば

     風は涼し この夕べ いざや 楽しき まどいせん

     やみに燃えし かがり火は 炎今は 鎮まりて

     眠れ安く いこえよと さそうごとく 消えゆけば

     安き御手(みて)に 守られて いざや 楽しき 夢を見ん

 

     一年のうちのこの季節、人生の中のこの季節、ひいては歴史の中の、
     地球の中のこの季節。

     何処に彷徨うわたしの心。

     この光景の中に。

     来し方、行く末、そして今このときをきっちりと生きていましょう。

     202012月のこの日はこの時しかありません。

     一日が長く感じられても、一週間、一カ月、一年と少し長い期間では短
     く感じられる。

     この不思議も思われます。

     佳き日々を祈って




                           


 


       楽曲 「 シューベルトの子守歌 」   
                訳詞 内藤 濯(あろう) 作曲 フランツ・シューベルト


     ここしばらくの欝々とした日々に、眠りにくい時があります。

     「そんな時には、つむじに指先を置き、…」すると寝付くとききました。

     私はそれに歌をつけます。

     子守歌。

     その中でもスッと浮かぶのは「シューベルトの子守歌」。

     曲は1797/1/31に生まれ1828/11/19に亡くなったシューベルト19歳の時に作られたといい

     ますが、
その調べが、浮かぶというより、詩と曲が一時にやってきます。

     この訳詞は「星の王子さま」を70歳の時翻訳された、フランス文学者内藤 濯氏。

     原詩の作者は不明です。

 

     内藤 濯氏は九州熊本に1883(明治)/7/7生まれました。

     代々お医者様の家系であられたと。

     何と北原白秋と伝習館中学では同級生でしたと。

     東京帝国大文科フランス文学科で学ばれ、学校勤務。後第一高等学校教授になられ、

     40
才前半フランス留学。1923(大正12)の関東大震災の時にはフランスで日本の

     ご家族を心配なさっておられたということです。

     フランスでは、「観るべきものを観る、聴くべきものを聴く、旅するべきところを旅する」

     精神を発揮。

     帰国後は同級生であった福岡易之助が立ち上げた「白水社」で「模範仏和大辞典」の

     編纂にも携われた。



        こう書いてきて、又資料に現れる先生の周りの方々を知るにつけ大層な方だったのにと

     今さら驚き、
わが浅学恥、且、懐かしむ。


     学生時代のあるひと時。

     先生は細身の体躯で濃いベージュのスーツをめされ、白髪(?だったと思う)フチなしの

     眼鏡をかけてらした。

     「コタンの口笛」「千軒岳」他の作品を書かれた石森延男先生の代講で教室にいらした。

     驚いた。代講でだ。

     その折「こうして皆さんが何かについて次から次へお話が広がり、楽し気であることを

     何というかご存知ですか。話に花が咲くというのです。日本語っていいでしょう」と

     お話なさいました。机一つ隔てただけの目の前で。

     ほほえみ、口調、やさしく品がおありでした。

     あのとき米寿のお年頃でいらっしゃったんだ―。

 

     「翻訳とは原文のリズムを移す日本文学」「声に出して読むに耐えるリズム重視の訳文」

     「声の言葉があっての文字の言葉であること」等、翻訳者として強調され、

     『人の声に乗った言葉、声のリズムにのった言葉、言葉の音楽性を「先生」は

     大事にされた』と息子初穂さんの書きものにも。

 

     こんなことらを思い浮かべもしつつ「♪ねむれーねむれー」と口遊む自分の声はいつしか

     聞こえなくなり、
目覚めれば朝が。











楽曲 「まもなくかなたの」
(聖歌687)  詞・曲  ロバート・ローリー(1826-1899)

 

この曲を紹介している大塚野百合さんの文章「 讃美歌・聖歌物語 」創元社刊を参考に語ってみます。

 

「 『「まもなくかなたの 』は 1864(和暦で元治元年―注・語坊)7月に、 ロバート・ローリー がブルックリンで歌詞と曲の両方を書いたものです。

その夏はひどい暑さで、伝染病が蔓延し、彼のまわりでも死者が数百人を数えるというほどの悲惨な出来事が起こっていました。

そのとき彼は、死とはなにか、この世を去ってから愛する者たちと天国で再会できるのか、というようなことについて思いを巡らすことになりました。

なぜなら牧師である彼は、このような悲惨な状況で肉親を失った人たちの、そのような問いに答えなければならなかったのです。

 ある日、新約聖書の最後にあるヨハネの黙示録221節の言葉が突然、天からの光を彼の魂に注ぎ込みました。

日本人が「三途の川」と呼ぶ不気味な「死の川」は、聖書によれば「水晶のように輝く命の川」であり、そこでわたしたちは再会できるのだ、という確信を与えられて、彼は、この歌の歌詞と曲「美しい川(ビューティフルリバー)」を書きました。」  

                        




「終活」

100歳時代と言われても 誰もが「死」に向かっています。

「銀の川」にたどりつくまで「地上の巡礼」は続きます。

 この暑さと、この見えない菌と、重ねて大水、大風、大火災。

生きる/暮らす」事の力を何から得ましょう。

 

 ところで「平安」に満ちたメロディーは、日本で「俗謡」と呼ばれる曲にも使われました

にすると「なーるほど!?」ですが。

 さて、ともあれ、ぜひお味わいくださいますよう。









     「まもなくかなたの」



    まもなくかなたの 流れのそばで 楽しく会いましょう また友達と


         神様のそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや 



   
 水晶より透き通る 流れのそばで 主を賛美しましょう 御使いたちと


         神様のそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや 



   
 銀のように光る 流れのそばで お目にかかりましょう 救いの君に


         神様のそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや 



   
 よいことを励み 流れのそばで お受けいたしましょう 珠の冠りを 


         神様のそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや 
 










     楽曲  森の小人  作詞 玉木登美夫 / 山川 清  作曲 山本雅之


       1  森のこかげで ドンジャラホイ 
         しゃんしゃん手拍子足拍子
         太鼓たたいて 笛吹いて 
         今夜はお祭り 夢の国
         小人さんがそろって にぎやかに
         あ ほーいほーいよ ドンジャラホイ

       2  おつむふりふり ドンジャラホイ 
         かわいいおててで踊り出す
         三角帽子に 赤い靴
         お月さんにこにこ 森の中
         小人さんがそろって にぎやかに
         あ ほーいほーいよ ドンジャラホイ

       3  おててつないで ドンジャラホイ
         ぴょんぴょんはねはね 輪になって
         森の広場を まわります
         今夜は明るい 月の夜
         小人さんがそろって 元気よく
         あ ほーいほーいよ ドンジャラホイ

       4  みんな楽しく ドンジャラホイ
         ちょんちょんおててを うちあって
         夢のお国の 森の中
         そろいのお服で 踊ります
         小人さんが揃って 楽しそうに
         あ ほーいほーいよ ドンジャラホイ






     こんな歌をふと思い出しました。
     ウイズ・コロナ時代、現在が「夢のお国の 森の中」の出来事だ。
     そろってにぎやか、そろっておもしろく、そろって元気よく、そろって楽しそうに
     なりますように。
     ドンジャラホイ。(一説に「前進を祈ります、ああ」の意味ありと。)


     この楽曲、いわくつきで、戦後復興の思いを込め「森の小人」となりましたが、
     戦中は「蟻の進軍」「土人のお祭り」と改題のみちをたどっているとのこと。



         戦後、幼子ひとりひとりの人生の根っこをさえ作った気のする懐かしい歌です。


         例えば「森の小人」の楽曲に合わせ舞台で踊った子のひとりはバレリーナに、
     見ていたひとりは居合わせた人々の笑顔に喜びを感じとり、「その関係づくり」の
     学びの道へ、もうひとりの幼子は、それぞれが自分を作り上げていく成長の
     手助けへの道をあゆみました。


     又、ある子は、いたんだりくたびれたりした体を治したり、使った使った大切な布を
     生かすことに自分を生かす喜びを得るようになりました。 



         ドンジャラというゲームご存知ですか。なんちゃらほい、なんちゃらかんちゃらとは?


     こんなこと調べてみるのもこの「歌は語る」の面白さです。


         ちなみに小人の出てくる話で私の好きなのはグリムの「ルンペルシュチルツヒュン」。 

   

 

                          




 


    楽曲  思い出のアルバム      増子(ましこ)とし 作詞  本多 鉄麿 作曲
       

      1.いつのことだか おもいだしてごらん    
        あんなこと こんなこと あったでしょう
        うれしかったこと おもしろかったこと    
        いつになっても わすれない

      2.春のことです おもいだしてごらん     
        あんなこと こんなこと あったでしょう
        ポカポカお庭で 仲良くあそんだ    
        きれいな花も さいていた


      3.夏のことです おもいだしてごらん    
        あんなこと こんなこと あったでしょう
        麦わら帽子で みんなはだかんぼ    
        お船も見たよ 砂山も

      4.秋のことです おもいだしてごらん    
        
あんなこと こんなこと あったでしょう
        どんぐりやまのハイキング ラララ   
        赤い葉っぱも とんでいた

      5.冬のことです おもいだしてごらん    
        あんなこと こんなこと あったでしょう
        もみの木かざって メリークリスマス  
        サンタのおじさん わらってた
  

      ※ 冬のことです 思いだしてごらん      
        あんなことこんなこと あったでしょう

   
      寒い雪の日に あったかい部屋   
        たのしいはなし ききました


      6.一年中を おもいだしてごらん  
        あんなこと こんなこと あったでしょう
        桃のお花も きれいに咲いて   
        もうすぐ みんなは一年生


    詞を書かれた増子とし氏(1908-1997)はクリスチャン、 本多鉄麿氏(1905-1966)
    お寺のご住職。

    お二人とも幼児教育を熱心になさり、園長先生をなさいました。
    保育研修会で出会われ「幼児のために楽しく歌える歌を」と1961年発表されました。

    本多鉄麿氏は昭和4年から8年間あの弘田龍太郎氏に師事されたそうです。

    ♪おててつないで♪屋根より高い♪青い月夜の♪しかられてしかられて 他、
    ご存知でしょう、

     あの弘田龍太郎氏も幼児教育に熱心、幼稚園を開かれています。

    鷹羽弘晃(たかはひろあき)氏編曲で京王線つつじヶ丘駅の列車接近メロディーと
    しても流れるこの曲は、先日6/11に亡くなられた服部克久氏の編曲で
    「おもいでのアルバム」となり、
1982年「NHKみんなのうた」で歌われるや、
    その前後からの流れもあり、子供たちを中心に、
歌い広がっていきます。

    一年生。
    もうすぐ みんなは一年生。いいなあ。
    思い出してごらん。皆様。                                    

    今年も半分終わってしまった。                                   
    しかし 今日は一番若い日。今日は新しい日。                            
    何回目の7月かな 皆様は。







 


  楽曲  「蛍の光」   稲垣 千穎  作詞   スコットランド民謡  

 

  作詞者稲垣 千穎(いながきちかい) は、「国学者、教育者、歌人、唱歌作詞者、

  教科書編集者。

 

  東京師範学校教諭として和文教育を行い、多数の和文教科書を編纂したほか、

  音楽取調掛として、『蛍の光』・『蝶々』2番など多数の唱歌を作詞した。

   通称は真二郎。(ウィキペディア参)

 

   ♪ほたーるの ひかーり まどのゆーきー 

ふみーよむ つきーひ かさーねつーつー 

 
   と、ひとり歌い出せば、どなたでもあとを続けて声を合わせられるのでは。

 

  原語の Should auld acquaintance be forgot,  And never brought to mind?             

      Should auld acquaintance be forgot,
   And auld lang syne! 

 

   もひょっとすると口ずさめるかもしれませんね。 

 

  従来あった詩を下敷きにに、ロバート・バーンズが作詞したとされています。

 

  でも「蛍の光」はこの作品の訳ではありません。

 

  当時の文部省でよく行われていた方式のごとく、スコットランド民謡に

   稲垣千穎の詞がつけられ、1881明治14年小学唱歌集に載ったとのことです。

 

  今、1番、2番のツーコーラスが歌われていますが、当時4番まで作られました。


  削られた経緯はお察しの通り、政治的といいますか、時代の造る流れの中にあり!  

 
  「蛍の光窓の雪」は貧しさに晋の車胤(しゃいん)は蛍で、孫康(そんこう)

  雪あかりで書を読み勉学に励んだという故事からきたことば。

 

  蛍の光窓の雪 書(ふみ)よむ月日 重ねつつ 

  いつしか年も すぎの戸を あけてぞ今朝は 別れゆく

  とまるも行()くも限りとて かたみに思う 千万の 

  心のはしをひとことに 幸くとばかり歌うなり

 


  今年はこの楽曲が歌われることなく6月まで来てしまったのでしょうか。

 

  スコットランド民謡の原曲は讃美歌「370番」にも用いられ、

  「めさめよ、わが霊(たま)こころ励み ちからの限りにいそぎ進め・・・」と

  歌いだされます。

 

  尾崎安(やすし)恵泉女学園大学長であられた方が訳詞者です。

 

  またこの曲は、「空より高く」(新沢としひこ詞 中川ひろたか曲・スコットランド

  民謡)という、2011/3/11震災のあとに「被災者の皆さんへ」と流れた

  保育園児たちの歌う合唱の一部分にも用いられています。

 

  詞は ♪人は空より高い心を持っている どんな空より高い心を持っている・・・

  ・・・・のあと 

  きみのこころよたかくなれ  そらよりたかくたかくなれ の部分 

  (2番では海・深くなれ)何時も卒園式の度に歌っていた曲だそうです。

 

  今現在の生活がコロナ対処とともにあり、これから生きる場、環境はコロナ禍

  以前とは違う 「新しいかたちの暮らし」に移りますと報道されています。

 

  伝わる一曲にのせられる幾つもの詞たち。

 

  その心は。

 

  いろいろ思いおこさせられ考えさせられる一曲です。 


  音楽は朗読に勝るかも……とおっしゃった朗読の先生がいらっしゃた……ナ







 


    楽曲   「リンゴ追分」  作詞 小沢不二夫 作曲 米山正夫

 

    りんごの花びらが 風にちったよな     

    月夜に 月夜に そっとええええ

      津軽娘は泣いたとさ  つらい別れを泣いたとさ 

    りんごの花びらが 風に散ったよな ああああ

   「お岩木山のてっぺんを 綿みてえな白い雲がポッカリポッカリながれてゆき、

  桃の花が咲き桜が咲き、そっから 早咲きのりんごの花ッコが咲く頃が、

   おら達の一番たのしい季節だなや。

  だども やっぱり無情の雨こさ降って 白い花びらを散らす頃、

  おら あの頃、東京さで死んだお母ちゃんのこと想い出すって、おらあ、おらあ」

    津軽娘は泣いたとさ  つらい別れを泣いたとさ    

    りんごの花びらが 風に散ったよな あああああ

 

    懐かしい方には懐かしく、知らない方には知らないまでも、

    思い描かれる景色、情景が浮かび上がるのでは。

    この歌とセットのように出てくる「津軽のふるさと」という楽曲もあります。

    ♪りんごのふるさとは・・・・・・と歌いだされる作品です。

    2作とも米山正夫氏の曲で、「津軽のふるさと」のほうは詞も米山正夫氏が

      書いています。

    両曲とも歌ったのは昭和の歌姫、美空ひばり。

    十代半ばの歌唱で、「リンゴ追分」は映画の主題歌です。

 

    小沢不二夫(1912/6/13-1966/5/15)、米山正夫(1912/10/3-1985/2/22)両氏ともに

    東京生まれ。

    何故続けて津軽そして林檎か!?

    「リンゴ追分」は195251日発売、「津軽のふるさと」はその翌年

    1953115日発売です。

    今では「ご当地ソング」として定着の由。

 

    歌いたいなー♪りんごーのーーーーーー

 

    そういえば

    戦後一番に青空に響いたのは「リンゴの歌」

    リンゴは花も実もそれぞれの時々のこころを集めるのかしら。

 

    (それにしても今青森のお隣「岩手県0」の報道は注目大。)










     楽曲 「めだかの学校」  作詞 茶木 滋  作曲 中田喜直

 

     今、この歌はいかがでしょう。

     何やら落ち着かない不安が押し寄せています。

     肉体へのウイルス侵入は願い下げですが、その手立てとして、外出自粛をはじめ、

     学校生活も自粛。

     五月のゴールデンウイーク!?おわりまでが目安ですと。

     ただただ一日も早い終息を祈念いたすのみです。

     せめてマスク着用、手洗い、うがいはしっかりいたしましょう。



     「めだかの学校」は戦後作られた作品です。

     
     【茶木滋の略歴

      ・明治四十三年一月五日、神奈川県横須賀市で生まれ本名は七郎。

      ・旧制中学三年生の頃から童謡や童話を作り始め、『赤い鳥』『金の星』などの
       雑誌に盛んに投稿していた。

      ・昭和六年、明治薬学専門学校(現・明治薬科大学)を卒業して製薬会社に就職。
       サラリーマンをしながらも雑誌などに童謡や童話を投稿したりして、
       詩作を続けていた。

      ・茶木一家は、昭和十九年に神奈川県小田原市万年町(現在の浜町)に疎開し、
       その後、箱根町宮城野に移り、移って約一週間後に万年町の家は、空襲で焼失。
       終戦の日の未明のこと。
       茶木は薬剤師で、小田原に疎開した製薬工場の監督に当たっていた。

      ・その後千葉県船橋市海神に住み、日本童謡協会、日本児童文学者協会、
       詩と音楽の会などに所属して詩作を続けた。
       童謡集に『とんぼのおつかい』『鮒のお祭』。
   
      ・平成十年十一月一日に亡くなりました。 

          <池田小百合なっとく童謡・唱歌(2011/09/01)より抜粋させていただきました>

 

     戦時、めだかの泳ぐ小田原市郊外の荻窪の川辺をお子さんと歩いていたときの

     思い出を土台に作られたそうです。

     そっとのぞいてみてごらん、誰が生徒か先生か、水にながれてつーいついの

     繰り返しやら、めだかの泳ぐようすは  「すーいすい」でないし、

     うーむとうなる日々が続き「つーいつい」の表現に行き着いたとか。

 

     さりげなくこの時期、この風景が思い浮かぶ、まさに「日本の歌百選」の歌の

     代表格ですが、ご苦労や、また戦争疎開時のひと時の目に焼き付いた風景からの

     作品であることなど繙くと味わいが増します。

     童謡といっても従来のものと一味違うなとの評があったそうですが、

     「歌のおばさん」方の歌唱と、教科書に載ったことなどからひろく歌われることと

     なったと研究者は述べています。

      作曲の中田喜直氏はこの頃新進気鋭の若き作曲家であったそうです。

    ♪めだかの学校は・・・・・・・うたってあるきたいな。

 

        1 めだかの学校は 川の中 そっとのぞいて見てごらん

             そっとのぞいて見てごらん みんなでお遊戯しているよ


        2 めだかの学校のめだかたち 誰が生徒か先生か

             誰が生徒か先生か みんなで元気に遊んでる


        3 めだかの学校はうれしそう 水にながれてつーいつい

             水にながれてつーいつい みんながそろってつーいつい



              





 



 


      楽曲  虹と雪のバラード  河邨文一郎 作詞  村井邦彦 作曲



    作家渡辺淳一の恩師でもある札幌医科大学教授の河邨文一郎
(かわむらぶんいちろう)氏
    の作曲です。

    作曲の村井氏は高校時代の夏休み札幌の友人宅に一カ月滞在したことが
     
あったそうです。

    お二方とものんびりとのどかな札幌と、1972年冬季オリンピックに向けての
    札幌の町の変化をご自身の目で見、実感したと語られています。

    笠谷幸生選手を筆頭にする日の丸飛行隊の活躍したアジアで初めての冬季五輪。

    それに向けて町ができる、生まれ変わる、そして叫び、歌い、夢を描くオリンピック。

    変化を実際知らぬものでも実感できる詞、そして曲。

    メロディー、ハーモニーに心が癒され、やる気が満ちてくるとか、
    いつもは忘れていることが思い起こされてくるとか、
    そんなことやらがあって、声で聴く、特に自分で歌うと「涙が出る」という
    現象が起きるという。

    この曲、涙が出てくるのです。

    色々な方が歌いました。

    けれど「トワエモア」の歌ったものが多くの方に支持されたそうです。

    純粋にこの詞の伝えたいことのみが歌声に表れているふうに
    筆者は感じます。
    
    「トワエモア」は山上路夫作詞の、♪ある日突然ふたり黙るの・・・
    という曲でデビュー。

    偶然にもこの曲の作者は村井邦彦氏です。

    札幌冬季オリンピックが終わっても受け継がれていく歌にしたいとの思いも
    のせられての楽曲。

    ギター片手に口ずさめるということもこの楽曲の条件であったと目にしました。

    重ねて、札幌中の人々が「そうだ」とはっきりと願い、
    今もアレンジコンテストを開催したり、
    多くの駅で「駅メロ」として聞くことができるそうです。

      札幌のみなさま、コロナウイルスに負けぬよう。

    一日も早い終息をお祈りいたします。








 


楽曲  「早春賦」   吉丸一昌 作詞  中田 章  作曲

 

余りにも有名なこの一曲。

 

詞の中にはこの立春の時の全てが込められ、曲からはこの時期の

見えないけれど見えてくるかに、こころの裡があふれてきます。

 

 

     ♪ 春は名のみの 風の寒さや   谷の鶯 歌は覚えど

 

時にあらずと声も立てず 時にあらずと声も立てず

 

   

♪♪ 氷とけ去り 葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく

 

今日も昨日も雪の空 今日も昨日も雪の空 

 

 

♪♪♪ 春と聞かねば 知らでありしも 聞けばせかるる 胸の想いを

 

いかにせよとのこの頃か いかにせよとのこの頃か  

 

 

 

 

大分県出身の吉丸一昌氏は1873年のお生まれ、中田章氏は1886

東京のお生まれ。

 

この詞は長野県安曇野、穂高の雪解けの風景を吉丸一昌氏が見られ、

作られたと伝わっています。

 

雪解け、春立つ頃、立春。

 

この立春、前日は節分、88日経つと茶摘みの頃。

 

この歌から、季節のめぐりは始まるようではないですか。

 

余談ですが、中田章氏は日本最初のパイプオルガン奏者、息子さんの

おひとり中田喜直氏は「夏の思い出」の作曲者として知られる方。

 

又、吉丸一昌氏は教育者としても多くのお働きがあります。

「尋常小学校唱歌」の編集委員、作詞委員会の長としてのお働きのみでなく、

個人的にも、財を投げうち人を育てる「教育者」であられたようです。

 

息子さんの昌直氏は牧師となられ、讃美歌第二編の編集に長として携わられたと

記録されています。

 

モーツァルトの「春の憧れ」森繁久彌の「知床旅情」につながる話題も興味わく

「早春賦」です。

 

「賦」の意味も。







 




 
    楽曲  「たわらはごろごろ」  作詞 野口雨情  作曲 本居長世

 

     今年は、庚子(かのえ・ね)


     動物のねずみを想像させます干支ですが、本来的には植物の育てからくる

     十干二支で()という字だと。


     一般人?に分かり易くするために十二支には動物を当てたとか。


     「孳」の「子」が「ね」で「ねずみ」。


     後付けとは言え、よく考えてくださったと思わされます。

  

     庚子(かのえ・ね) は、新しい生命が萌し始める状態、

     加えて陰陽五行説から見ると相生(そうせい)で、

     含むところは相手を強める影響、変化がうまれ、

     新たな生命が萌し始める状態であるそう。

 

     「子年」からの発想で前置きが長くなりましたが1925年に

     発表になりました


     「たわらはごろごろ」が今月の楽曲です。


     詞も曲想も、とってもリズミカルです。


       23番は耳に残っていらっしゃること少ないかとも推し量ったり

     いたしますが、
いかがでしょう。



     ところで1925年は乙丑(きのと・うし)相剋とありました。

  

         1 たわらはごろごろ お蔵にどっさりこ 

        お米はざっくりこで


        ちゅうちゅうねずみはにっこりこ 

        お星さまぴっかりこ 夜のお空にぴっかりこ



      2
 いねむりごろごろ 舟こぎぎっちんこ 

        こげこげこっくりこで


        おやおやお目目はぱっちりこ 

        ちょうちんぽっかりこ 鼻のちょうちんぽっかりこ  


        3 雷ごろごろいなずまぴっかりこ 

       夕立ざんぶりこで 洗濯びっしょりこ 


          お庭もびっしょりこ 雨でお庭もびっしょりこ

 



     お正月ののどかさや、近頃の変りやすい天候も歌われて

     いたりしている気がしました。  あ・と・づ・け。







                              








 

   

      楽曲 ペチカ   作詞 北原白秋 作曲 山田耕筰

 

      作詞作曲、名コンビの作品です。
      
      
大正13年「満洲唱歌集」に掲載されたものです。

 


        雪の降る夜は楽しいペチカ ペチカ燃えろよ

         お話しましょ むかしむかしよ 燃えろよペチカ

             雪の降る夜は楽しいペチカ ペチカ燃えろよ

           表は寒い 栗や 栗や と 呼びますペチカ


        雪の降る夜は楽しいペチカ ペチカ燃えろよ

           じき春きます 今に柳も 萌えましょペチカ 


        雪の降る夜は楽しいペチカ ペチカ燃えろよ

         誰だか来ます お客様でしょ うれしいペチカ


            雪の降る夜は楽しいペチカ ペチカ燃えろよ

         お話しましょ 火の粉ぱちぱち はねろよペチカ

 



      満洲、どんな所でしょう。

      城山三郎著「落日燃ゆ」に表される満洲。

      
我が師石森延男の詠う野菊咲く満洲。

      
過去の多くを語る満洲。

      この楽曲「ペチカ」は 満洲を舞台にして作られています。 


      冬。


       語るようにちろめく炎に、人恋しくあるこちらはひとりでに
      語り掛けてしまう。

      外はしずかな白い雪、内はぱちぱちはぜるペチカの赤い炎。

 

       壁全面が温まるように設計されたペチカの、暖炉と違いは、

       冬中ずっと燃やし続けるというのと、必要な時だけ燃やすという違いとか。

      
北欧うまれのペチカは、日本には1880年ころ ロシア経由で北海道に
          やってきたとか。

 

      飛びますが、「ペチカ」という苺もあるようです。1995年登録されています。

      高橋という方が登録者ですが、どんな方なのでしょうか。

      ペチカにお話してみましょ。





                   






 


      楽曲  あざみの歌      横井弘 作詞   八州秀章 作曲


     戦後間もない時期に作られ 、昭和24年8月8日ラジオ歌謡として
     
     世に流れ出た作品。



     今日「NHK日本のうたふるさとのうた100曲」のうちの一曲に

     なっています。


     作詞者も作曲者もそれぞれの理想の女性像を思い浮かべ作品化したとのこと。


     復員間もない横井弘(本名 鈴木義光)は、長野県は霧ヶ峰の八島湿原で

     であった
あざみに触発されたと。


     独立の花ことばのせいか、触れないでの棘のせいか、その姿か、

     何があざみに行き着かせたのでしょう。

 

     あざみにはたくさんの種類があり、春から秋、

     特に秋に咲くあざみが多いと、も
のの本にはありました。


     この歌が大好きだと晩年、ご披露くださった恩師。


     奥様について「出会った頃、フリージアの花のようだった。黄色のね。」

     とおっしゃいました。


     もう一人、心にとめて覚えている恩師がいます。


     その先生は数年前に亡くなられたのですが、奥様も先生で、

     つい一か月前に亡くなられました。


     お二人は同じ学年のお隣どうしのクラス担任であったときにご結婚。

 

     私たち生徒はご結婚に際し、驚きとともに万歳!

 

     そしておこづかいからコーヒーカップやらなにやら買い求め、

     新居をご訪問したのでした。

 

     一輪の花から、「人」が浮かび上がってきます。

 

     続いて、あんなことこんなこと。

 

     時代、年代、・・・・・・

     めぐるおもいはやがてやはり「今」と「私」に戻ってきます。

 

     日々を大切にいたしましょ。

 

     今月は「あざみの歌」が語らせてくれました。

 







 



    楽曲  川で歌おう   小林幹治 作詞 / インドネシア民謡




    夜半、なんだ―と驚くほどの数多の星の輝き。

    濃い藍色の東の空に、くっきりと浮き上がる星座は、
    四角の中に星が帯の列を作って並ぶオリオン座。

    まあ素晴らしい。

    何回も見る星座だが、窓枠を額と見立ててすっぽりと
    はいりこんだオリオン座。

    はじめて。

    アメイジング!

    そしてこの今、別の気持ちで眺めているであろう人たち、
    ながめてもいられない方々をも思う。

    この歌「川で歌おう」はインドネシア民謡の曲に作詞して
    合わせられたもの。

    作詞はほかに2作あるようです。

    原曲の詩は「RASA SAYANG EN」

    「愛しさ(SAYANG)感じたよ(RASA)」という意味合いとか。

    小林幹治氏は、
他に「サモア島の歌」「春が呼んでるよ」
    「赤い川の谷間」「輪になって踊ろう」「ゆかいな牧場」等々、
    多くの外国民謡に作詞をしていらっしゃいます。 


      筆者は1962年の8月、9月にNHK「みんなのうた」で流れた
    この歌に今月は、語ってもらおうと思いました。


    自然災害が繰り返されるこのところの日本でありますが
    「自然」を謳歌していたい、そうであるように期待し、
    願い、祈ります。

    ちなみに、インドネシアは通称略称で、正式には
    インドネシア共和国。

    ネシアはギリシャ語ネソス(島)由来。

    漢字表記は印度尼西亜。

    世界で一番、島の数を持つ国。

    首都はジャワ島にあるジャカルタですが、
    「首都移転計画」も発表されているくらいここ毎年
    顕著に沈みつつあるとのことです。

    「自然謳歌」の心根つながりますように。





                           








 


     楽曲 河は呼んでる  水野汀子 作詞 ギイ・ベアール作曲

 

     フランス映画(1957)の主題歌。


     と言ってもその映画に添った詞は音羽たかしさんのもので
     
     あったようです。

         

 

         デュランス河の流れのように

         小鹿のようなその足で

         駈けろよ かけろ

         かわいオルタンスよ

         小鳥のように

         いつも自由に    /  音羽たかし

 

 

     笑顔でベビーフェイスの爽やかお嬢様と言った風の

     シャンソン歌手中原美紗緒さんが歌われました。

 

     歌は聞いたことがあっても、筆者はこの映画を見たことが

     ないのです。

    

     ジャン・ジオノと言う方が脚本を書いた映画だそうで、

     村を流れる デュランス河にダムができ、近隣の村は

         水底に沈む。

    

     そのあたりの土地はオルタンスの父の所有地であった。

    

     その父が亡くなった後、莫大な賠償金をついだオルタンスと、

     彼女を取り巻く親戚筋の人々との物語。

    

     実際のダム工事の進行に合わせ、オルタンスの成長が

     描かれているとか。

      

     三年かかったダムの完成にともない水が家々を

     呑みこんでいく日、この日が大団円である。

    

     デュランス河のあたりに棲む 主人公の名がオルタンスと

     いうわけです。

    

     どんな展開、ハラハラドキドキなのか、映画見たく
     
     なりました。

 

    

     ここからはなれているやら材をつかんでいるのか、

     水野汀子氏の詞、大層きれいでご機嫌になる詞では
     
     ありませんか。

   

     ご機嫌の中身は気分がいい、爽やか、あかるいきもち、

     あーっ夏かも、梅雨明けたかなっていう空気感がいい。

   

     この季節が自身の好みであるだけかもしれませんが。

   

     又、水野汀子氏は、トムピリビは2軒おうちを持っている

     の作者でもあります。

  

     で、「河は呼んでいる」と「い」が入っている作品は

     後のもの、また「デュランス河・オルタンス」が

     歌われているものは、何の歌?と疑問に思う聞き手が多く、

     あまり歌われなかったとか。

  

     ちなみに「ジャン・ジオノ」って名にビビッと来られた方は

         ありませんか。

   

     「木を植えた男」の原作者でもあります。

   

     この作品はね、絵本にもなっています。

   

     内容紹介は実物の方へゆずります。

   

     是非ご一読を。






                     



                     












≪ 大人色ファンタジー展覧会Ⅱ 春麗 ≫ in 茶房ギャラリー楓
2010年03月26日(金) 14時~15時

 

春浅い頃の気温に戻った日となりましたが、
たくさんの方がお集まりくださり、
朗読の世界を共に作ることができました。

【 演目 】
平家物語~相模所縁の場面より~
狸の山門
白い椿の精

【 オカリナとご一緒に 】
♪青葉の笛
♪鎌倉


 


≪ 大人色ファンタジー展覧会 ≫ in 茶房ギャラリー楓
2009年06月19日(金)・20日(土) 14時~15時

   
縮緬細工の吊るし雛をお借りして、朗読会場も鈴音がファンタジックに飾りました。
【懐かしく 新しい】雰囲気を楽しんでいただけている様子を見て、こちらも気分が盛り上がります。 





演目: レラプス ・ かぶと虫 ・ ぬらりひょんのひみつ ・ 千代とまり
オカリナ演奏: アニーローリー ・ 眠りの精 ・ わかれ(お客様と合唱)



会の最後、オカリナとの合唱 ♪別れ が、しっとりと決まりました。 


朗読とオカリナ演奏の後は、茶房ギャラリー楓のメンズスタッフの手による豆腐ケーキの出番。


初日は45人分を用意していただきました。
「男の料理教室」メンズの手作りケーキとお茶のサービスは大好評!
レシピのコピーも見る見る内に無くなりました。

フレッシュレモンがさわやかな豆腐ケーキは、「真似して作ったわ~」と数人から伺いました。
素敵な出会いに感謝します。






<語坊【ユファン】とは>

鈴音の長女、布施泉が参加する朗読ユニット。

およそ20年前に朗読サークルで知り合いになった相山啓子と布施泉は、
各々朗読や音訳の勉強をしながら、小学校、保育園、高齢者施設などを
定期的に訪問していた。

笛の演奏集団ニュー・バイバーズとふたりのコラボレーションを機に
イベント出演が増えていく中、相山と布施にひとつの道が見えてくる。

<<土地々々に縁のある作品や民話を語り継いでいきたい>>

ふたり共通の想いが呼応しあい、
朗読ユニット「語坊」(ユファン)を2003年に結成。
ユニット名は、語る、言葉、処、学びの者などの意味をもつ言葉を組み合わせ、
響きを ーユファンー とした。



現在は、2004年から季節ごとに開催している朗読会を中心に活動するほか、
朗読習練希望者のための教室「この指とまれ」を月2回開いている。

朗読に合わせたオカリナ吹奏も好評で、聴く人の心を温かく和ませるふたりのステージは、
回を重ねる程にファンを増やしている。







相山啓子   布施泉


連絡先:TEL.090-9308-3829

定期朗読会
2月・5月・8月・11月 第3木曜日 13時50分より
根本荘ホール 潮音(しおね)(三浦市南下浦町上宮田1468)
会場:TEL.046-888-0658
















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